「アゼルバイジャンの英雄」
先月の11日、自身のSNSでBellatorへの移籍を発表した、RIZINライト級トーナメント王者のトフィック・ムサエフ。今回は、このムサエフの経歴、人物などについて調べたことや思ったことを記します。
ムサエフは、1989年12月15日にアゼルバイジャンのバクーで生まれました(ちなみに自分は、アゼルバイジャンがどういう国なのか、ほとんど分かっていませんでした)。
12歳の時に空手を始め、2013年に23歳でプロ総合格闘技デビューを果たし、連勝を飾りました。忍耐強く鍛錬することを厭わない。このことから、真面目で謙虚な性格の待ち主であることが想像できます。
その後はロシアやウクライナの団体を主戦場に活躍し、中国や母国アゼルバイジャンで行われたイベントにも出場していました。そこでも連勝を重ねていたので、一戦一戦と強くなっていったことが伺えます。
2018年の12月31日に、大尊伸光との試合でRIZIN初参戦となりTKO勝ち。翌年の6月2日にはダロン・クルックシャンクに判定で勝利。この時は、まだ”未知の強豪”という位置付けで見られていたようです。
そして、10月12日にRIZINライト級に出場し、ダミアン・ブラウンにTKO勝ちで準決勝進出決定。ちなみに自分がRIZINを初めて知ったのが、この日でした。しかし、テレビで見ていたのでムサエフ戦は放送されず、“コーカサスの死神”の存在を、まだ認知することはできませんでした。
2019年の大晦日にはトーナメントの準決勝でもジョニー・ケースにTKO勝ち、決勝戦のパトリッキー・フレイレとの試合では、3Rを通して攻守が激しく入れ替わるハイレベルな熱戦の末、ムサエフが3-0の判定で勝利し、トーナメント優勝を果たしています。
個人的に、ピットブルとの試合は何度見返しても全く飽きない大激闘だったと考えています。この一戦を見られた人はラッキーで羨ましいです。一生ものと言ってもいいほどの名勝負。ムサエフは凱旋帰国すると、空港で多くの報道陣やファンに囲まれるなど国民的英雄として熱烈な祝福を受けました。この瞬間、アゼルバイジャンの英雄となったのです。
しかしその翌年の9月29日、コーチのルスラン自身のSNSで「ムサエフがアゼルバイジャン共和国軍に招集された」と報告、ムサエフが2020年ナゴルノ・カラバフ戦争に加わったことが判明しました。
この時自分は、戦争だから本当に何が起こるかわからない恐怖を感じました。ムサエフが無事に帰還できることだけを祈りました。
RIZINの榊原信行代表は当時、RIZIN.26でムサエフの出場調整をしていたが、結局断念したそうです。これに関しては、タイミングがかなり悪かったので仕方なかったと思います。
2020年12月29日、榊原代表はムサエフが戦地から帰還したことを発表しました。自分はこのニュースを聞いて、心の底から安心しました。命を懸けて戦場から無事に帰ってきたアゼルバイジャンの英雄に心から感謝したいと思いました。
2022年、現在もコロナ禍が続き、未だに先が見えない状況ですが、一日も早い収束を祈るばかりです。偉大なアゼルバイジャンの英雄が、アメリカでも大活躍して王者になること、また、いつか万全の状態で日本で試合をしてくれることを心から願っています。
今回は、トフィック・ムサエフについて紹介しました。お読みいただきありがとうございました。